明日香医院
大野明子の著作など エッセイ > 子どもを産んで、産科医になる
子どもを産んで、産科医になる
勤務を辞めた理由は、自然なお産のお世話をしたいということはもちろんですが、中学受験のためコンビニでおにぎりを買って塾に通う子どもに、お弁当を持たせてやりたかったのです。平日が週1回、週末は月に2回、土・日の昼夜通しの当直をする日々はもはや限界でした。

お産の家開院後は、毎晩自宅で当直の日々です。お産はいつも待ったなしのため、食事中にお産で呼ばれ、しばらく戻ってこられなくなるなどは日常茶飯事ですが、診療所の2階に住んでいるため、長時間家を空けないですみます。家事を手伝ってくださるかたにも恵まれ、まわりに助けられました。

お産最優先の生活に、母親失格かもしれないと感じたことも何度もありました。そんなときの私を支えてくれたのは、おっぱいを飲ませていた頃の記憶と感触です。1歳2か月まで夜も昼も3時間起きに飲ませ続けたことで、あの子は大丈夫、子どもと私はしっかりつながっているから大丈夫、そんなふうに信じることができました。

-子どもは育つ-

そして、子どもは大学2年生になりました。自宅から通学のため、一緒に暮らしています。時間がたっぷりあることこそがなによりの財産だなど、まるで気がつかない様子で、自由気ままに、日々青春を謳歌しています。相変わらず、かわいくてたまりませんが、彼は、おかあさんが彼のことをこんなにかわいいと思っていて、いつも心配して祈っていることなど、気づいていないでしょう。それでいいのだと思います。

20歳の誕生日当日、早朝から将棋の試合に出かけた彼は、とうとう、翌朝まで帰ってきませんでした。誕生日にお祝いの夕食をともにしないのは初めてでした。用意したお祝いのケーキは、翌日のおやつになりました。気がついたときには、こんなふうに子どもは大きくなってしまっていました。

抱っこをせがむ子どもに、「今ちょっと手が離せないからあとでね」と、なんども答えてしまったことを、子どもに抱っこをせがまれなくなった今、私はせつない気持ちで思いだしています。そんな用事など、本当はどうでもよいことでした。そんなふうに甘くせつない記憶をたどりながら、ときどき、ソファに座る子どもの頭をなぜてみます。

子育ての日々、先が見えなくて、つらくて泣きたくなるときもありましょう。よく考えてみれば、本当は喜びの方が多いはずなのに、つらいことはこころに重いのです。目の前のことにとらわれてしまうと、どうしようもないがんじがらめでさらにつらくなってしまいますが、どうかそんなとき、どんなときでも子どもはおかあさんが大好き、世界中で一番好き、おかあさんがいてくれるから元気で過ごせる、そして、子どもはいつか必ず育つことを思い出してください。子どもと一緒にいられる時間は決して長くありません。どうぞ、日々をいとおしみながら、大切に楽しんでください。
4 / 5

copyright © 2003-2011 birth house ASUKA, All Rights Reserved.