明日香医院
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子どもを産んで、産科医になる
-子育て期間を支えた授乳の記憶-

医学生の時から今まで、ずっと学業や仕事に追われてきました。こころの中では子どもが最優先でも、実際の生活では、ずいぶん寂しい思いをさせました。

医学生の時、自宅と学校は、高速道路を飛ばして片道60キロ、電車で通えば片道2時間。長い留守の間は、父母と祖母が子どもをみていてくれました。祖母が「子どもはみていてあげる。あとから後悔しないように、今しかできないことをやりなさい」と言ってくれたことを、深い感謝とともに思い出します。帰宅後、絵本を読んだり、即興のお話しを聞かせたりして子どもを寝かしつけた後、起きだして机に向かうのが日常でした。子どもは即興のお話しがお気に入りで、テープに録音しておいたものを聞かせると、何度でも同じところで声を上げて笑ってくれたものでした。臨床実習中は、毎日の通学が体力的につらくなり、大学の近くに小さな部屋を借り、1日おきに自宅に帰ったこともありました。

卒業時、実家の近くでの就職を母はすすめてくれましたが、勤務先選びを優先し、再度上京して母子のふたり暮らしを始めました。子どもが小学校1年生の春でした。朝は私が少しだけ早く家を出ました。彼の学童保育が終わるのが午後5時。私は午後7時に家に着くのが精一杯。隣家のお嬢さんにシッター役をお願いし、一緒に留守番をしてもらうこともありました。ひとりで寂しいときは、わざと遠回りして帰宅したり、実家の母に電話をしたりしていたようです。

2年目に日本医大に移動したとき、月に10回以上の当直が割り当てられました。医師の当直は、代休もなく完全にプラスアルファの勤務です。大学から外の病院へ当直の手伝いに行けば、2日連続、3日連続という当直や、週末はずっと当直というのもあたりまえで、そんなときは、何日も家に帰ることさえできません。やむをえず、1年間子どもを実家に預け、月に1回会いに行く生活も経験しました。

3年目から子どもを引き取りましたが、派遣先の病院でも、最低月に7から8回の当直をしなければならない生活が続きました。週末当直の時には、金曜の夕方、シッターさんが東京駅から子どもを新幹線に乗せ、実家の駅で母が出迎えてくれます。日曜の夕方には、実家の駅で新幹線に乗せてもらった子どもを、当直の帰り道に東京駅まで迎えに行くなどの綱渡りでした。新幹線で眠って乗り過ごした子どもが、目を覚まして自分で車掌さんに頼み、次の駅で上りの列車に乗せてもらって無事母の元に到着した事件もありました。緊急手術のため小学校の個人面談をすっかり忘れてしまったことも思い出します。医師としても修行の身でもあり、日々、限界に挑戦しているような毎日でした。
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