龍村: |
実は最近、「地球交響曲」のような映画をこの時代につくり続けていくことに対する辛さを私自身、感じているんですね。9.11のテロ以降の世界情勢や、連日おこっている命に対しての人間の想像力の欠落を思わせるような事件の数々を横目でみながら、命に対するポジティヴなメッセージを送り続けていくことは、とても精神的にはしんどいことです。
そんななかで「第五番」は、哲学者のアーヴィン・ラズローさんの「すべての存在はつながっている」というコンセプトだけがあって、撮影がスタートし、妻の妊娠がわかり、大野先生に出会い、宮崎さんに出会い、それから以前映画に出演した方々が相次いで日本にやってくるという偶然も重なり……。本当に「見えないもの」が現実につながっていって、1つに結実した作品だったんですね。
できうることはベストを尽くして、そのうえで、なおかつ人知を超えた大きなものが、私たちに1つずつ結果を与えてくれているのだとすれば、やっぱり、私たちはそのことに対してもう少し素直で、謙虚な気持ちをもたなければならないのだと、この映画を撮り終えてあらためて、そう感じました。
そして、おそらくお産という営みは、そのような感覚をもっとも身近に感じることができる体験なのかもしれません。
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大野: |
そうですね。明日香医院でお産をされたお母さんたちからしばしばいただく、おそらく多くの方に共通する感想のなかに、「ここにいた3日間を思い出すと、子育ての原点に戻ることができる」というものがあるんですね。「自分がとても大事にされて、とても幸せだった。だから少し気持ちが落ち込んでも、明日香医院でのお産を思い出すと元気や勇気を取り戻せる」と話してくださいます。
お産や入院中の体験がそのような意味をもって語られることがあるという事実に、私は後から気づかされたのですが、やはり大事にされながら自分で産んだという体験が、その人のその後の人生に与える力というのは、ものすごいものなのだなと実感させられるんですね。
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龍村: |
「なぜ自然なお産なのか」という命題は、そこにも通じているのかもしれませんね。科学的には証明しにくいのかもしれませんが、おそらく、これからはいかに命を“健やか”に育むかが問われる時代になっていくのだと思います。ここでいう"健やかさ"というのは、医学的な視点でいう“健常”ということではありません。与えられた命の器で、その人なりの100%を出し切って、生きられるかどうかという問題です。
私は出産の場での扱われ方や、自然なお産のプロセスのなかに、そういう“健やかさ”の素地となる大切なファクターの1つがあるような気がするんです。
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宮崎: |
そうですね。
私がここに通ってきていつも感じるのは、本当に大野先生やスタッフの方々の産婦さんに対する愛情の深さなんです。丁寧ですし、かかわりが1人ひとりに対して、まっすぐなんです。その姿勢が相手の心に響くのではないでしょうか。何より、愛されていると感じる。
「愛されて育つ子は人を愛する能力が育つ」。これは映画のなかの大野先生の言葉ですが、この言葉はお母さんにもそのまま当てはまると思うんですね。女性は愛情を受けると、誰かにその愛情を返したくなる。そのことを私は明日香医院のお産の場で感じるんです。
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龍村: |
受け継がれていくものは、やっぱり目に見えない、形のないものなんですね。(了) |