明日香医院
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お産の家便り 2009年
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12月のアイコン 2009年12月 [平成21年12月]
12月の写真[1]
大野明子対談集
2009年12月発行
メディカ出版(拡大)
年末の発行がようやく間に合った『お産と生きる』(メディカ出版)では、4人の産科医と「なぜ、自然なお産か」を語り合いました。臨床医として何をすべきかを学び、吹っ切れた気持ちでいます。ご一読いただければ、幸いです。
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8月のアイコン 2009年9月 [平成21年9月]

9月13日、秋晴れの日曜日、浜田山駅に近い柏の宮公園で恒例、あすかネットピクニックが行われました。
23組の親子が参加してくださり、楽しい1日でした。
明日香医院からは、助産師の松尾梓早と、大野が参加しました。

松尾さんが撮影した楽しい写真の数々をご覧ください。
(写真をクリックすると拡大されます)

あすかネットピクニック あすかネットピクニック あすかネットピクニック あすかネットピクニック
あすかネットピクニック あすかネットピクニック あすかネットピクニック あすかネットピクニック 
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8月のアイコン 2009年8月 [平成21年8月]
8月の写真[1]
坂倉準三展(鎌倉)チラシ表(拡大)
鎌倉にある神奈川県立近代美術館で開かれている「建築家 坂倉準三展 モダニズムを生きる人間、都市、空間」を見てきました。

坂倉準三氏は、1930年代から1960年代にかけて活躍した建築家です。フランスの建築家ル・コルビュジエに師事し、1937年のパリ万国博覧会で日本館を設計したことで知られます。帰国後は、坂倉建築研究所を主宰し、現代日本を代表するたくさんの建築を残しました。

建築とは無縁の私が坂倉準三氏のお名前を知ったのは、明日香医院の建築を通してでした。明日香医院の建築を担当してくださった藤木隆男先生は、10年以上の長きにわたり、坂倉準三氏没後の坂倉建築研究所に勤務なさっていました。藤木先生を知ることになった東京サレジオ学園の建築は、藤木先生の坂倉建築研究所のお仕事です。

展覧会では、戦前から戦後建築への流れを展覧会のサブタイトルどおりに見せていただけたほか、さまざまな発見を楽しみました。まず、開催場所である神奈川県立近代美術館そのものが、代表的な坂倉作品であること。こじんまりした建物ではありますが、鶴岡八幡宮の蓮池に面するピロティには豊かな広がりがありました。

8月の写真[2]
坂倉準三展(鎌倉)チラシ裏(拡大)
また、坂倉氏は、私と同郷、岐阜の出身であることを知り、不思議な親しみを感じました。岐阜に千代菊酒造という有名な蔵元がありますが、準三氏は当時のご当主の4男として生まれ、私の母校である岐阜高校の前身、岐阜中学の出身だったのです。そのためか、岐阜県でいくつかの仕事をしておられます。小学校の隣にあり、コンサートや学芸会などでしばしばお世話になっていた岐阜市民会館が、坂倉建築であったことを知りました。また、坂倉氏の初期の作品リストの中に龍村織物所などもありました。展覧会の担当スタッフに、当時藤木孝男建築研究所に勤務し、明日香医院を担当してくださっていた真木利江さんのお名前も発見しました。そして、現在は山口大学でご活躍と知り、嬉しくなりました。

展覧会のことを私に教えてくださったのは、明日香医院の家具担当、家具作家のシイナケイジさんです。坂倉準三氏もまた、家具作家のシャルロット・ペリアン女史との共同作業で、建築とその中で暮らしを支えるたくさんの家具を考案なさったようでした。シイナさんは今回の展覧会で、鎌倉では日本館の壁を飾った矢来垣を模した構造物の復元を担当なさっています。

なお、鎌倉での展覧会に並行して、汐留ミュージアムでも、「建築家 坂倉準三展 モダニズムを住む 住宅、家具、デザイン」展が開かれています。鎌倉の会期は9月6日まで、汐留は9月27日までです。汐留には、シイナさん復元による住宅の大扉もあるそうです。建築に興味のあるかたはもとより、私のようなしろうとにも楽しめる、少し専門的な展覧会として、おすすめします。
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4月のアイコン 2009年4月 [平成21年4月]
4月の写真[1]京都・平野神社の桜(拡大)
春爛漫。今年は、いろいろな場所で桜を見ることができました。

まず、4月の初め、日本産科婦人科学会に出席のため訪れた京都で。満開の疎水をそぞろ歩きました。ソメイヨシノ以外に、たくさんの桜があることを知りました。

ついで、高井戸の桜と千鳥ヶ淵の桜。高井戸の桜は、年々見事になります。明日香医院のお向かいの大地主さんの山桜も、とてもきれいでした。

そして、最後は4月半ば、箱根と山中湖で山桜を見ました。山中湖畔の桜は、あまり背が高くならない種類とのことでしたが、こぶしの花と競うように咲いていました。曇り空の下、桜のピンクとこぶしの白がけむるように咲く様に、いにしえの景色を思いました。

明日香医院も、新しい助産師スタッフ3名が加わり、元気に4月を迎えています。今年の2月以降、人手の余裕がないため、心ならずもお産をお断りせざるをえない状況でした。お陰さまで5月以降は、年末年始のお産も含め、通常どおり運営の予定です。

4月の写真 [2]ジャンプするポール(拡大)
お産をお受けする数を減らした結果、外来診療に少し余裕ができました。現在は1時間に4名の予約をお受けしています。あまりお待たせすることなく、ゆっくりお話しを聞くことができ、私も診療の充実感を味わっています。経済面を考えると、厳しい側面はないわけではありませんが、臨床は、患者さんのためにあるという原点に立てることは、私を元気にしてくれると感じています。

お産をめぐる状況は、ますますきな臭さを増しているかにも見えます。志を同じくする助産師たちと、ひとりひとりの妊婦さんと赤ちゃん、ひとつひとつのお産を大切に、過ごしていきたいと改めて思う春です。
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2月のアイコン 2009年3月 [平成21年3月]
3月の写真満開のミモザ(拡大)
いつのまにか、すっかり春になりました。

10年前の開院当時、ミモザはお彼岸の頃から咲き始め、3月末に満開でした。ユキヤナギやレンギョウも同時に咲いて、玄関周りは本当にきれいでした。

冬の最低気温の問題なのか、それとも、寒い時間の長さの問題なのかはわかりませんが、年々、ミモザの開花だけが早くなっています。1月にはつぼみが色づき、今年は2月の半ばに咲き始め、2月末には満開になってしまいました。ユキヤナギとレンギョウの開花期はあまり変化していないのがとても不思議に思います。

少し時期は早くなりましたが、薄淡い黄色の花に木全体が染まっている様子は本当にきれいなことには変わりありません。今年も春が来たことを実感します。

3月中旬からお向かいの栗林のマンション工事が始まりました。栗の木がすべて切り倒されてしまうのに、たった2日しかかかりませんでした。目に入れば胃が痛くなってしまうので、なるべく見ないようにしていました。この環境がたったおひとりの地主さんの力で守られていたこと、開発というのはこのように行われるのだということを体感しました。

そして、こんなに広い土地ですが、ほとんど庭を持たない建物が建ちます。これからは、初夏に栗の青葉の匂い、花の匂いを感じることもなくなります。明日香医院の庭を訪ねてくれる小鳥や秋に鳴く虫も少なくなるかもしれません。落ち葉の時期に大振りの栗の葉が道路を越えて飛んできてくれることもなくなるでしょう。

明日香医院のはす向かいに白いしだれウメの木があります。今年もきれいに咲いていました。満開の下を通り、この木も切られてしまうのだ、と思ったら悲しくなって、マンションの事業主さんにお願いして、譲っていただくことにしました。無事、移植して根付いてくれるかどうか、そもそも、狭い庭のどこに植えたらいいだろうかと、植木屋さんと相談しているところです。
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2月のアイコン 2009年2月 [平成21年2月]
2月の写真クリスマスローズが咲きました。(拡大)
お産は必ずしも、順調に進むとは限りません。とくに、最初のお産の場合、きわめて順調に進み、なんの問題もなく終わるお産は、決して大多数とは言えません。

たくさんのお産を見てきてわかったことは、いざというとき、すなわち、少し困ったことが起こったときや異常の兆しが見られるときであったとしても、時間経過に従ってそれなりに進むお産であれば、無事、よい結果が得られるということです。逆に困ったときになお進まないお産は、帝王切開などの医療介入を必要とします。そして、いざというときに進むお産であるかどうかは、妊娠経過中の努力が問われます。

最近の2例のお産です。おふたりとも、きわめて熱心にお散歩などの努力をなさってくださった30代前半の初産婦さんです。

おひとりは、予定日になっても、赤ちゃんの頭はプカプカと高く、骨盤に嵌りません。41週になる前に陣痛が来てくれるだろうかと心配していたところ、予定日の翌日に陣痛発来、その後は順調に進んで生まれました。ところが、胎盤に問題があり、出血が止まらず、胎盤を手術的に取り出す必要がありました。出血量も多かったので、お産後の体力を心配したのですが、お散歩の成果あってか、順調に回復なさり、おっぱいも順調です。

もうおひとりも、臍帯の関係から、妊娠36週を越えたところから、血圧が上昇し、妊娠高血圧症候群の様相を呈してきました。そこで、早めにお産になってほしいと、37週を越えたところで、子宮口を内診で刺激しました。すると、幸いにも刺激に反応し、翌朝には陣痛発来、するりと安産できました。その後は、おっぱいを軌道に乗せるべく、助産師たちとともに奮闘中です。

刺激に反応して陣痛が始まったのは、子宮口が熟化していたためであり、やはり、彼女の努力のたまものです。さらに、このケースのように状態が厳しいときに早めに子宮口が熟化するということそのものが、自然の巧妙な摂理です。

おふたりとも、妊娠中、お産のとき、そして、お産後と、パートナーがしっかり支えてくださいました。これも、やや厳しい展開の中、よい結果が得られた大きな要因です。

「お産は精神的なもの」とお話ししても、あまりにも漠然としていますが、具体的には、このようなことなのです。おふたりの安産は、おふたりとパートナーがこれまでの日々を紡いでくださった結果だと、しみじみ思い、感謝の気持ちでいっぱいです。
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1月のアイコン 2009年1月 [平成21年1月]
1月の写真白梅が咲きました。(拡大)
あけましておめでとうございます。
新年は静かに明けました。凛とした寒さはむしろここちよく感じます。そして元旦のお昼過ぎ、今年初めての赤ちゃんが元気に生まれました。好天に誘われ、3日には白梅の花が開きました。

今年の明日香医院の年賀状に次のように書きました。

産科医療事情が変わろうとも、お産の本質は不変です。地に足を着け、産む人とともに歩みます。

あたりさわりのないことを書いておく気持ちにはなれない今、これは、本心からのメッセージです。

帝王切開と正常分娩とを比べれば、正常分娩の方が圧倒的に安全であるという明らかな事実を、産科医療界の指導者たちは、あえて無視しているか、忘れているかのように見えます。また、マスコミや妊婦さんたちも、それに呼応して、その事実を知ろうとしません。ほとんどの場合、母体にとって、帝王切開をすることよりも、しないことの方が安全です。「赤ちゃんのために帝王切開しましょう」という、妊婦さんにとって圧倒的な力を持つ決まり文句に象徴されるように、赤ちゃんの安全の前に、妊婦さんの安全は後回しにされてしまいます。けれども、正常分娩で生まれることができるのであれば、赤ちゃんにとっても、それは帝王切開よりも安全なのです。

異常になったらどうするかについて備えることも重要ですが、それ以前に、異常にならないためにはどうすればよいかを考えることの方が、本質的に大切です。また、安全であることも重要かもしれませんが、目先だけの安全至上主義は本質を見失う可能性があります。安全よりも大切なものがあると語るのは今や勇気が必要になりました。けれども、動物として健全な形で次の世代を産み育てること、お産の中に幸福を見つけ、それに支えられて子育てをすることは、安全と同様に大切だと私は思います。

産科医が不足していることは事実で、周産期医療のシステムは、すでにほころびだらけです。たしかに分娩の異常は増えています。それは、出産年齢の高齢化や産む人の生活スタイルの変化などにも原因がありますが、無理な不妊治療の産物でもあります。さまざまな理由から、ひとつひとつのお産にますます手間がかかるようになっているので、ますます、人手が足りません。それなのに、産む人に異常にならない努力を勧めることもなく、ささいな異常に対しても「安全のために」どんどん過剰に介入し、どんどん帝王切開を増やしていく。そして、どんどん、さらなるハイリスク、さらなる異常を増やしていく。

そして、何か起こるたび、そのほころびにツギを当てるような形で、場当たり的に対処していく現在のやり方は、明らかに限界があります。どんどんほころびを増やす医療を続け、産む人がそれを望んで選択する限り、産科医を増やしても、その分だけほころびが増えていくので、相変わらず、ほころびだらけです。そして、ほころびは、ますます広がり、もはや、ツギハギすることさえ困難になるでしょう。

昨年11月、舛添厚生労働大臣の主導で、医政局主催の「周産期医療と救急医療の確保と連携に関する懇談会」が5回にわたって開催されました。懇談会の配付資料などは、厚生労働省のホームページから見ることができます。また、年明けには報告書が出される予定です。

私は、この懇談会を2回傍聴させていただいたのですが、つくづく、ツギを当てるやり方は限界に来ていると感じました。NICUのベッドを増床することも大切ですが、それを運営する医師や看護師の不足は明らかです。また、費用も無限にはかけられないでしょう。むしろ、NICU入院の必要な赤ちゃんをいかに減らすかに取り組むことが本質的だと思いながら、議論を聞いていました。

どう考えても結論はひとつです。「すこやかに産むこと」、これに尽きます。これからも引き続き、明日香医院は、正常なお産を守ることに徹したいと思います。これが口で言うほどたやすくないこと、けれども、やってやれないことではないことは、これまでの10年間でよくわかりました。お先真っ暗のように見えていますが、未来に希望は十分にあると思っています。お産なさる皆さまには、なにとぞよろしくお願いいたします。
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